たつき諒の夢日記は本物か嘘か?“胡散臭い”と感じる人の共通点とは

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たつき諒さんの『私が見た未来』は、「東日本大震災を予言した漫画」として一躍注目を集めました。


さらに“2025年7月の大災害予知”が話題になり、多くの人がその夢日記に興味を抱いています。


一方で、ネット上では「胡散臭い」「こじつけだろ」「ただの偶然じゃないか」といった声も多く見られます。


果たして、たつき諒の夢日記は本当に“未来を視た証”なのか、それとも巧妙な演出なのか?


この記事では、「胡散臭い」と感じる人たちの視点に注目しながら、夢日記の真偽を冷静に検証していきます。

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そもそも「たつき諒の夢日記」とは何か?

たつき諒(たつき・りょう)さんは、1990年代に活躍した女性漫画家で、ホラーやスピリチュアル要素を含んだ作品を手がけていました。


彼女が一躍注目されることになったのは、1999年に出版された短編集『私が見た未来』。


この作品はただのフィクションではなく、彼女が実際に夢で見た“未来の出来事”をもとに描かれていたとされ、特に災害に関する予知描写が話題となりました。

「夢で未来を見る」という特殊な能力が本物なのか、それとも偶然の産物か――。


その真偽をめぐって、支持する人と懐疑的な人が真っ二つに分かれるのが、たつき諒の夢日記なのです。

『私が見た未来』と“予知夢”の概要

たつき諒さんは1999年に漫画『私が見た未来』を発表した元漫画家です。特徴的なのは、その作品が“ただの創作”ではなく、彼女が実際に見た夢=予知夢をもとに描かれているという点です。


作中には「大災害」や「津波」などを示唆する描写があり、2021年には内容を大幅に追加・再構成した『私が見た未来 完全版』が出版されました。


これが再び注目を集め、ネットでは「本当に未来が見えていたのでは?」という声が広まりました。


東日本大震災を予言したと話題に

最も有名なのが、「2011年3月 大津波」という文字とともに描かれたカットです。


これは東日本大震災の10年以上前に描かれたものであり、「予言が的中した」として後になって再評価されました。

ただし、発行当時に注目されたわけではなく、震災後に発掘されたことから、「あとづけ」「こじつけ」といった批判もあります。


ここから、「胡散臭い」と感じる人が増える土壌ができていったともいえます。

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「胡散臭い」と感じる人が続出する理由とは?

たつき諒さんの夢日記が注目を集める一方で、「なんか胡散臭い」「こじつけに見える」「本当に予言なの?」といった否定的な声も少なくありません。


ではなぜ、そうした不信感が一定数存在するのでしょうか。


ここでは、代表的な“胡散臭い”とされる理由を3つに分けて見ていきます。


理由①:内容があいまいで誰にでも当てはまりそう

たつき諒さんの夢は、「災害」「津波」「事故」など大きなテーマで語られることが多く、具体性に欠ける部分があるのも事実です。


「なんとなく当たったように見える」「後から意味づけすればなんでも当てはまる」といった見方をする人にとっては、“未来を見た”という主張が説得力を欠いて見えてしまうのです。


理由②:話題になったのが“事後”だった

東日本大震災を予言したと言われる描写も、実際に注目されたのは震災後。


つまり、事後に「これ当たってたじゃん」と広まったことであり、事前に注意喚起されたわけではないという点に疑問を抱く人が多いのです。

あらかじめ周知されていたのではなく、“あとから掘り起こされた”ことで、「予言」というより“偶然を拡大解釈したもの”と捉えられてしまう要因になっています。


理由③:スピリチュアル商法に見えてしまう要素

『私が見た未来 完全版』の発売や、関連グッズ、予知夢を語る講演・インタビューなどの露出が増えたことで、一部の人は**スピリチュアル商法の一環なのでは?**と感じているようです。

本人は商業的意図を否定しているものの、「不安を煽って本を売ってるだけでは?」と捉える人も存在し、“胡散臭い”という印象を強めています。

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“信じる人”と“胡散臭いと疑う人”の違い

たつき諒さんの夢日記に対しては、熱心に信じる人もいれば、まったく信用しない人もいます。


その違いは、単なる性格や好みの問題だけではなく、「何を信じたいか」「どこに安心を求めるか」といった深層心理的な背景も関係していると言えるでしょう。


信じる人:災害の記録と一致=未来を見た証拠と見る

信じる人たちは、たつき諒さんが描いた夢と、実際に起きた出来事の一致点に注目します。


特に「2011年3月 大津波」の記述は、東日本大震災と結びつけて見る人が多く、**「偶然ではなく、未来を視た証拠」**と捉える傾向があります。

こうした人々は、たつき諒さんを単なる漫画家ではなく、“未来を教えてくれる存在”として見ており、彼女の夢を信じることによって「これから起こることに備えたい」「心構えを持ちたい」という思いが強いのです。


疑う人:再現性のない「夢」に根拠はないと見る

一方で疑う人は、夢という曖昧な情報に科学的な根拠がないことを指摘します。


「未来を見た」という主張に対して、論理的証明ができない以上、信じるに値しないと考えるのです。

また、「的中した」とされる事例の多くが事後的に評価されたものであることから、「後付けでどうとでも解釈できる」と見ている層も多くいます。


共通点:どちらも「安心したい」という気持ち

面白いことに、信じる人も疑う人も、根本にあるのは**「不安を解消したい」「未来への備えをしたい」**という人間としての自然な欲求です。

信じる人は“予言を信じることで安心”を得ようとし、疑う人は“論理で否定することで安心”しようとしているのかもしれません。立場は違っても、「未来を恐れている」という点では実は近いのです。


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夢をどう受け止めるべきか?冷静な視点が必要

たつき諒さんの夢日記をどう捉えるかは人それぞれです。


しかし、信じるにしても疑うにしても、大切なのは不安に煽られすぎず、冷静に受け止める姿勢を持つことです。


ここでは、たつきさん自身のスタンスと、私たちが取るべき行動指針について紹介します。


たつき諒本人のスタンス「予言者ではない」

たつき諒さんは、自身を“予言者”とは一切名乗っていません。


むしろ、何度も「私は未来を当てたいわけではない」「夢が当たらないことを望んでいる」と公言しています。

実際、『私が見た未来 完全版』の中でも、「夢で見たことを記録しただけ」であり、それが本当に現実になるかはわからないと正直に語っています。


このスタンスは、読者側にも“盲信せずに読む”ことを促すものです。


防災意識を高める“きっかけ”として捉える

たつきさんの夢が当たるかどうかにかかわらず、自然災害への備えを意識するきっかけになるのは間違いありません。
南海トラフ地震や首都直下型地震など、実際にリスクが高まっているとされる災害は複数存在しています。

予言を信じる・信じないは自由ですが、「いつか起こるかもしれないことに備える」という行動は、誰にとっても無駄ではありません。


夢を“当たる当たらない”で議論するよりも、それを機に今できる準備をすることこそ、建設的な受け止め方といえるでしょう。

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まとめ|胡散臭さを感じても「備え」は無駄にならない

たつき諒さんの夢日記には、神秘的な魅力とともに、信じるかどうかを悩ませる“胡散臭さ”も確かに存在します。


内容のあいまいさや事後的な注目、スピリチュアルな空気感など、冷静な目線で見れば疑問点も多いのは事実です。

しかし一方で、こうした「不確かな情報」こそが、私たちに考えるきっかけを与えてくれることもあります。

もし予言が外れても、災害への備えが無駄になることはありません。重要なのは、夢の真偽よりも、それをどう行動に変えるか



胡散臭いと感じたとしても、「念のため備えておくか」という一歩が、いつか自分や家族を守るかもしれません。

未来は誰にもわかりません。だからこそ、不安を煽られすぎず、冷静に、そして賢く向き合うことが大切なのです。

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