たつき諒さんの“予知夢”による災害の警告が話題を呼ぶ中、一部のスピリチュアル界隈では「日本のサイババでは?」といった声も囁かれています。
たつき諒とサイババ――一見まったく異なる存在のように見えますが、「未来を視る力」や「人知を超えたメッセージを残す人物」として、共通点を見出す人も少なくありません。
果たしてこの2人に共通点はあるのか?
また、なぜスピリチュアルな文脈で並べて語られるのか?
この記事では、たつき諒とサイババという“予言的存在”の関係性について、冷静に考察していきます。
たつき諒とは何者か?|“予知夢”で注目された漫画家

たつき諒さんは、1990年代に活動していた元漫画家で、ホラー系短編を中心に執筆していた人物です。
彼女が一躍注目を浴びることになったのは、1999年に出版した漫画『私が見た未来』。
この作品には、「夢で見た未来の出来事」を描いたエピソードが含まれており、後に「予言が当たった」とネット上で話題を集めました。
特に、2011年に発生した東日本大震災を予知していたのではないかとされる記述が注目され、“ただの漫画家”から“未来を視る人”というイメージが独り歩きすることとなります。
『私が見た未来』で災害を予知?
『私が見た未来』の中には、「2011年3月 大津波」というショッキングな文字が描かれたシーンがあり、これは後に起こった東日本大震災と一致しているとして注目を集めました。
この予知的描写が「的中した」と受け止められ、絶版だった同作は高額で取引されるようになり、2021年には加筆・再編集された『私が見た未来 完全版』が出版されるまでに至ります。
完全版ではさらなる“予知夢”の内容が紹介されており、その中には「2025年7月の大災害」についての記述もあり、現在も話題が絶えません。
予言者ではなく「夢の記録者」と語る本人の姿勢
たつき諒さん自身は、自分が予言者であるとは一切主張していません。
むしろ、「ただ夢で見たことを記録しているだけ」と繰り返し語っています。
夢が的中することもあれば、しないこともある。
それでも、「印象的な夢は忘れないように記録している」とし、出版もその延長線上であると述べています。
本人のスタンスはあくまで“記録者”であり、“導く者”でも“信仰の対象”でもないという姿勢を明確にしています。
しかし、その控えめな態度ゆえに、逆に「本物っぽい」と信じる人が増えるという現象も起きています。
サイババとは何者か?|インドの“奇跡の聖人”とされる存在

サイババ(本名:サティヤ・サイ・ババ)は、インドで生まれ、世界中に多くの信者を持ったスピリチュアルリーダーです。
特に1970年代〜2000年代にかけて、「予言者」「奇跡を起こす聖人」として広く知られ、インド国内にとどまらず、日本を含む多くの国々でカリスマ的存在となりました。
その教えはヒンドゥー教に根ざしながらも宗教を超えた普遍的なメッセージを持ち、「愛と奉仕」を説くスタンスに共感する人が後を絶ちませんでした。
世界的に知られたスピリチュアル指導者
サイババは、ヴィブーティ(聖なる灰)を手から出すパフォーマンスや、人々の病気を治すといった“奇跡”で知られ、超常的な力を持つ存在とされてきました。
こうした演出により、多くの人々の信仰を集め、彼のもとには日々何千人もの信者が訪れていたといいます。
また、学校や病院、インフラ整備などの慈善活動も積極的に行い、「信仰だけでなく実行力のある聖人」として、評価された側面もあります。
予言や奇跡の逸話が語り継がれる理由
サイババの教えの中には、「未来を予見した」「戦争や災害を事前に語っていた」といった逸話が数多く存在します。
ただし、それらはあくまで信者や関係者の証言に基づくもので、客観的な記録や証明が乏しいのも事実です。
それでも彼が残した言葉や行動には、多くの人の心を動かすものがあり、亡くなった現在でもその影響力は根強く残っています。
なぜ2人が“似ている”と語られるのか?
たつき諒とサイババ――一見すると全く異なるキャリアと文化背景を持つ2人ですが、スピリチュアルな界隈では「予言者的存在」として語られることがあり、SNSやオカルト系メディアなどで“似た存在”として取り上げられることもあります。
ではなぜ、両者が並べて語られるのか?その背景にある“共通点”を見ていきましょう。
共通点①:未来や災害を予知したとされる点
最大の共通点は、「未来を見た」とされる記録が残っていることです。
たつき諒は『私が見た未来』で災害や事故のビジョンを夢として記録しており、サイババもさまざまな“予言”を信者が語り継いでいます。
両者とも、その内容の一部が「実際に起きた出来事と一致している」として、一部で神秘的な存在として見なされるようになりました。
共通点②:信者的な支持層が存在すること
たつき諒もサイババも、熱心な“支持層”がいるという点で共通しています。
たつき諒の場合、予知夢を信じて定期的に情報を追っている読者やSNSユーザーが存在し、彼女の夢の内容に一喜一憂する動きも見られます。
サイババの場合は宗教的な信仰に近いものですが、いずれも「特別な力を持つ人物」として“上からの視点で未来を語る人”として崇拝されている点で似ているといえるでしょう。
共通点③:本人の意図とは違う“神格化”の流れ
たつき諒さんは「私は予言者ではない」と繰り返しており、サイババも“聖人”として崇められることに対しては一線を引いていた時期がありました。
しかし、周囲の受け取り方が先行して“神格化”されていったという点でも共通しています。
いずれも、本人の発言以上に、信じたい人々の期待や思い込みがイメージを作り上げてしまう――それが、たつき諒とサイババが「似ている」とされる根本的な背景かもしれません。
“予言者”として語られることの危うさ

たつき諒やサイババのように、未来に関する発言や“予知”のような言動をきっかけに注目を集めた人物は、時として「予言者」「導き手」として祭り上げられることがあります。
しかし、そうした存在を無条件に信じたり、過剰に依存したりすることには明確なリスクも潜んでいます。
信仰と不安ビジネスの境界線
予言的なメッセージが広まると、それに便乗して不安を煽るような商売――いわゆるスピリチュアル商法や陰謀論ビジネスが派生することがあります。
「この水を買えば災厄を逃れられる」「予言を信じた人だけが助かる」といった極端な話も出てくることがあります。
たとえ本人にそのつもりがなくても、信じすぎる周囲が“神話”を作り出し、それを利用する存在が現れる。
こうした構造は、歴史的にも繰り返されてきた現象です。
たつき諒はあくまで「一般人」であるという事実
たつき諒さん自身は、自分を予言者とも指導者とも語っていません。
ただ、「夢で見た内容を記録した」というだけです。
そこには商業的な意図もなく、本人も「夢が当たってほしくない」と公言しています。
それにもかかわらず、“たつき諒=未来を知る存在”というイメージがひとり歩きし、SNSでは「先生」扱いされることも。
一歩間違えば、誤った情報が拡散されたり、本人の意図と無関係な“偶像”として消費されたりする危険性があります。
“予言者”として語られることの危うさ

たつき諒やサイババのように、“未来を見た”とされる人物が注目を集める一方で、そこには見逃せない危うさやリスクも存在します。
予言という言葉には人の心を強く動かす力がありますが、それが時に誤解や不安、過剰な信仰につながることもあるのです。
信仰と不安ビジネスの境界線
予言が注目を集めれば集めるほど、それに便乗する形で「〇〇が来る!」「〇月に備えろ!」といった不安を煽るコンテンツも増えていきます。
特にインターネット上では、“不安のマーケティング”として利用されることも少なくありません。
これは“信仰”と“ビジネス”の境界が曖昧になっている証拠ともいえます。
予言を信じること自体は個人の自由ですが、それを口実に物を売ったり、人を不安にさせたりする行為は慎重に見極める必要があります。
たつき諒はあくまで「一般人」であるという事実
たつき諒さん自身がたびたび語っている通り、彼女は「ただ夢を見て、それを書き残した一般人」にすぎません。
宗教家でも預言者でもなく、ごく普通の一人の女性として、自分の体験をシンプルに伝えているに過ぎないのです。
それでも「当たった」「神がかっている」といった評価が先行し、本人の意図を超えて神格化されてしまうケースもあります。
ここで重要なのは、私たち受け手の側が冷静でいること。
信じる・信じないは自由ですが、過剰に持ち上げたり、盲目的に信じることには注意が必要です。
まとめ|たつき諒とサイババは似て非なる存在
たつき諒とサイババ。どちらも「未来を語った人物」として共通点があり、信者や支持者によって神秘的な存在として扱われることもあります。
しかし、その立場・背景・目的は大きく異なります。
サイババは長年にわたり宗教的な教えと慈善活動を行ってきた“信仰対象”であり、カリスマ的なスピリチュアルリーダーでした。
一方、たつき諒はあくまで一人の漫画家であり、夢を記録しただけの「非宗教的・非予言的」な存在です。
この2人を同列に語ることで見えてくるのは、「人は“未来を知っているかもしれない誰か”に惹かれる」という心理です。
けれども大切なのは、盲目的に信じるのではなく、自分自身の判断力を持つこと。
予言でも夢でも、それを“どう活かすか”は受け取る側次第。だからこそ、私たちはスピリチュアルな話題に触れるときほど、冷静な視点を忘れずにいたいものです。
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